縁起ダルマの生産は少林山の近在・高崎市豊岡地区でつくられています。少林山の縁日は正月の五日から六日にかけて行われ、高崎市近郊以外からも大勢の老若男女が古いダルマを抱えて来て、新しいダルマを購入して帰ります。
少林山達磨寺は東京から1時間で来られる紅葉のメッカでもあります。最近は海外からの観光客も増えて、奉納された珍しいダルマが少林山達磨寺に積みあげているのが撮影スポットにもなっています。
少林山は群馬県内で一番遅い高崎市の紅葉名所
総門をくぐると長ーい石段が続いています。
石段の途中に休憩出来る場所があるようには、総門からは見えませんでした。総門を避けて右手から車で登る道はありますが、いざ疲れてしまったらどうしよう?迷いながらも石段を登ってゆくと、左側や右側にそれて、ユックリ登れる道がありました。安心して石段を登ってください。
総門わきには不動明王が祭られています。お線香が立てられるように準備がされています。帰り際に、ここでお参りをしている老婦人に会いました。足が達者なうちは長い石段でも難なく登れますが、年を召されると総門の所でお参りできればそれも良いなと思いました。
招福の鐘
石段上に渡り廊下があり、鐘楼があります。私はこのような鐘撞き堂は初めてみました。
鐘楼は「招福の鐘」と呼ばれるそうです。家族ずれやカップルが楽しそうに鐘をついていたのが見られました。
掃き清められたイチョウの落ち葉が円形に整えられていました。私がカメラを構えていたら、若い女性のグループも「珍しい!」とスマホで自撮りをしていました。
地元の上毛新聞にイチョウの黄色の落ち葉ともみじの赤い落ち葉でダルマさんを描いてある記事がありました。落ち葉も掃きもこんな楽しみ?があるかと住職の人間味が感じられます。
水屋にぶら下がっている手拭いが少林山らしいです。
本堂・霊符堂
本堂です。ここ少林山では霊符堂と呼称します。お祀りしてあるのが、北斗七星を神格化した「北辰鎮宅霊符尊」「初祖達磨大師」「開山心越禅師」です。これが霊符堂と呼称される由縁です。
いつも参詣人でお線香がたかれていました。
ダルマさんの目入れの仕方
珍しいダルマです。「駕篭に人を乗せている絵」が描かれています。このダルマは「運送業者?」が奉納したのでしょうか?
地元の習慣では購入後に「ダルマさんの左目」を入れます」。入れ方は営業の会社だったら「目標金額」とか「当選」とか書いて、最終的に一番偉い人が「目になる」ように丸く黒くして仕上げます。
返しに行くときは「ダルマさん右目」を入れます。このときもみんなで少しずつ黒くして、最後にえらいさんが丸く黒目に仕上げます。
役を終えたダルマさんは奉納して、新しいダルマに取り替えます。ここで覚えておいていただきたいのは、最初のダルマより次のダルマは「大きいのを購入する」のが決まりです。最初から大きいダルマを購入したら来年はさらに大きくする!のですよ。
もう一つ気を付けていただきたいのが、購入後にどこへダルマさんを置くか?です。現地でみるとちいちゃいダルマさんが「我が家の神棚にはちょうどよかった」なーんてこともあります。置く場所の寸法を測ってから購入するといいですよ。
観音堂
本堂となり観音堂に登る石段です。
本堂となりのかやぶき屋根が観音堂です。本尊は十一面観音菩薩です。子授け・安産・厄除けにと若いカップルがお参りに来ています。
当日は関西や岐阜ナンバーの新婚カップル?が熱心にお願いをしていました。
少林山は「そんなに有名なのか?」それとも「紅葉が有名なのか?」自慢したくなります。
瑞雲閣
瑞雲閣・売店前のイチョウとモミジの紅葉です。
瑞雲閣前の紅葉です。
少林山から榛名山を望む
少林山から榛名山を望むとこんな感じです。伊香保温泉は右側の山の中腹に位置しています。少林山からは伊香保温泉は見えません。
招福の猫の木?
祝福の猫の木はこちら。
祝福の猫の木へ続く道ですが、見つけられませんでした。次回の楽しみができました。
白衣大観音へ続く高崎自然歩道
少林山から白衣大観音へ続く高崎自然歩道です。公共交通のぐるりんバスで少林山に来た人は、尾根伝いに歩けば白衣大観音へ出られます。
車で行けば6㎞の距離です。「近くて遠いは田舎の道」です。案内板にしたがってくださいね。キジトサルは出会うかもしれません。イノシシもいるかもしれませんが、自己責任でお願いいたします。
本堂裏の大駐車場と売店です。階段の上り下りが苦手な方は本堂裏の駐車場まで車でくれば、残りの道は段差がなくお参りができます。
世界的に有名な建築家タウトの住まい
タウト思惟の径<6>
百庚申
洗心亭
洗心亭は群馬県選定史跡です。
二間の小住宅ですが…。基礎などは改修工事がしてあるようです。内部の様子は残念ですが見学できませんでした。
タウトとエリカはナチ政権を逃れて昭和8年5月敦賀に上陸し、京都、仙台を経て昭和9年8月高崎市に来られました。昭和11年10月までの2年3か月間は洗心亭で過ごしました。
西洋の家に比べると小さな家ですよね!
当時の高崎の農家では養蚕が盛んでした。農家の2階を全部使って蚕を飼っていましたから、大きい家でした。
乳頭がたくさんぶら下がって?いました。もっと大きいイチョウでは乳頭がありますが、小さい木でこれほど多く乳頭がぶら下がっているのは見たことはありません。
タクト思惟の径<2>
タクトの洗心亭から緩やかな下り坂を進むと、サザンカが咲いていました。
少林山の地図
少林山達磨寺
〒370-0868 群馬県高崎市鼻高町296